[福祉]犯罪被害者遺族による講演会が行われました。(9/28)
2012年10月16日お知らせ
犯罪被害者遺族による講演会が行われました。

この講演会は、福祉のまちづくり学科(H23年度入学生より社会福祉学科)3年生の「更生保護制度」という授業の一環で行われ、この日は社会福祉学科2年生、福祉のまちづくり学科3〜4年生が受講しました。
お越しいただいたのは、
認定NPO法人おかやま犯罪被害者サポート・ファミリーズ 理事 市原 千代子 氏
岡山県警察本部県民応接課犯罪被害者支援室 係長 芦田 俊祐 氏 です。
講演では、被害者遺族としての市原氏の思いや、遺族を支える警察の支援内容についてお話いただきました。
警察による被害者支援の制度
あまり知られていないかもしれませんが、警察では犯罪被害者の支援をする機関があります。
まずは岡山県警察本部の芦田氏よりその支援の内容についてお話いただきました。

犯罪被害者の支援には下記の8つの制度・業務があります。
1.被害者連絡制度
2.指定被害者支援員制度
3.初診料等公費負担制度
4.カウンセリングアドバイザー制度
5.シェルター保護制度
6.再被害防止措置制度
7.犯罪被害給付制度
8.国民の理解増進のための施策
芦田氏は、これらの制度に基づき、犯罪被害者やその遺族に対して、保護をしたり心のケアをしたり経済的打撃の緩和を図ったりされています。
これらの業務を通して芦田氏は、「警察は事件直後しか被害者または遺族のケアができないのに対し、被害者は被害者であることを一生止めることができません。被害者または遺族へのケアが行き渡るために警察ができることは、行政のサービスを向上させるよう取り組んだり、社会全体の理解と支援を得るための活動をし、被害者と行政・社会全体の橋渡しをすることです。将来福祉に携わる学生のみなさんは、このような活動と支援を知り、将来に役立ててほしい。」と話されました。
『子どもたちを被害者にも加害者にもしないために 〜被害後を生きるとは〜』
『子どもたちを被害者にも加害者にもしないために 〜被害後を生きるとは〜』
認定NPO法人おかやま犯罪被害者サポート・ファミリーズ 理事 市原 千代子 氏
(ここでは、一人でも多くの方に市原氏の思いを知っていただくため、できるだけ詳細にお話をご紹介したいと思います。みなさまも何か感じていただけたら幸いです。
なお、講演内容及び文中のお名前は、市原氏の許可を得て掲載しています。)
市原さんは、平成11年3月、当時18歳だった次男圭司さんを友人3人からの暴行により亡くされました。
「被害者遺族」と聞くと、“泣いている・怒っている・悲しんでいる”というイメージを持つ人がほとんどです。
それは何故か・・・新聞やテレビでは被害者遺族の泣いている・怒っている・悲しんでいることしか報道されず、その裏で被害者遺族は何を考え、どのように暮らしているかということは報じられないからです。
被害者遺族の考え・暮らしを世間の方に知ってもらうことで、加害者をなくし、一人一人が自分の命を大切にすることに繋がることを願い、講演活動をされています。
次男 圭司さんの生い立ち

その後圭司さんの妹も誕生し、6人家族でごく普通の生活を送っていました。
流産と死産を経験されていることもあり、圭司さんをはじめ、子どもたちの命を大切に大切に育たそうです。
小学生の頃からテニスを始めた圭司さんは、高校に進学してからもテニス部に所属し、活躍していました。
人と関わることが大好きで、人と関わる仕事がしたいといつも言っていた圭司さん。
高校1年の秋に目の下を真っ黒にして帰ってきた事があり「友だちとふざけてぶつかってこうなった」と言ったので、それは圭司さんの不注意で、それなりに楽しく高校生活を送っている、と市原さんは思っていました。
その怪我が実は殴られた跡だと分かったのは、それからしばらく経ってからのこと。
圭司さんは高校2年に進級したての頃、体格のいい同級生に殴られ、眼底骨折の大ケガをして入院しました。
退院後、圭司さんは高校に行こうとしなくなり、先生と相談の上、やりたいことが見つかるまで休学することとなりました。
休学中圭司さんはさまざまなことに挑戦しました。
親しかった同級生が退学し、就職、一人暮らしを始めた事もあり、そんな彼の影響を受けたのか、その年の12月には圭司さんも一人暮らしを始め、ガソリンスタンドで働きだしました。
しかし、圭司さんのアパートには、友人たちが仕事から帰るころに遊びに来るようになり、朝方までゲーム等をして遊び、生活が不規則になっていきました。
それが続き、とうとう扁桃腺を腫らして入院。退院後も色んなことに挑戦するも、扁桃腺を抱えていることですべてがうまくいかず、翌年3月には実家に帰って来ました。
その後兄がいる東京へ−。
高校の時にとった資格を生かし当時最先端の仕事に就いている兄の姿を見て、圭司さんも「何か手に職をつけるための資格を取りたい」と考えるようになりました。
そして翌年3月に在籍していた高校を中退し、4月から新規オープンする高校の8月に行われる3期の募集に向けて頑張る事に決めました。
その頃圭司さんには、後に加害者となる3人の幼なじみがいました。
少年Aは16歳。高校は1年で中退して父親の会社を就いでいる少年。
少年Bは同級生(18歳)。暴力の被害に遭って高校を退学。その後Aの会社に就職。
少年Cは高校の卒業式を終え、Aの会社に就職が内定していた少年。
この3人はとても繋がりが強い仲間だったようです。
事件発生
忘れもしない平成11年3月17日、この日は圭司さんの妹さんの中学校卒業式。
たまたま市原さんが卒業式で少年Cの母親に会い、「何か悪いことをしていたら連絡してね」という会話をしました。
その日の夕方圭司さんはいつもより早く帰宅。体調も良くなかったので、早目に就眠しました。
夜になると少年Cから何度か電話がかかってきました。市原さんは、圭司さんは寝ている旨を伝え、電話を切りました。
その後市原さんが入浴中に再び少年Cから電話がかかり、電話に出た他の家族が圭司さんにつなぎました。
その電話で呼び出された圭司さんは、午後9時半、「日頃の態度が生意気、横柄だ」「電話に出なかった」と、3人から殴る蹴る、川に蹴り落とされるという暴行を受け、30分後に意識を失くしました。
市原さん家族はその日の夜、集中治療室の待合室で過ごしました。意味もなくICUのある6階から1階までの階段を上がったり下がったり、圭司さんが早く目を覚ましてくれることをただ願うだけ。でも絶対に目を覚ましてくれると思っていました。
とても長い夜でした。
そして翌日のお昼前、東京から長男が駆けつけた直後、圭司さんは息を引き取りました。
息を引き取ったあともまだ温かかった圭司さんの手は、翌日大学病院で司法解剖を受けて帰ってきた時には、氷のように冷たくなっていました。
残酷な犯罪は二次被害をも引き起こしました。
事件後は周りの人から「大変だったね」「辛かったね」とたくさんの声をかけてもらいましたが、市原さんの胸は張り裂けんばかりでした。
あなたが思っているような辛さ、悲しさじゃない。
それでも圭司さんの後をきちんとしてあげなければならない。
圭司さんが生きていた事実を消し去る作業がどれだけ辛かったことか。
「頑張ってね」
これ以上何を頑張れというのか。
「私なら気が狂うわ〜」
狂えるものなら狂いたかった−。
市原さんは次第に人と関わることを避けるようになりました。
そして圭司さんの妹は高校へ進学。
妹は事件のことを誰からも悟られないようにがんばっていましたが、次第に一人の胸の内では抱えきれなくなり、問題行動を起こすようになっていきました。
同級生からはいじめに遭い、先生からは問題児扱い。
そんな中妹が言った言葉は、
「死んでしまった圭司より、生きている私を見て!」
―この言葉で市原さんは妹さんがどれだけ大きなことを一人で抱えていたかに気づかされました。
学生のみなさん、周りの友だちの中に、変わった行動や問題行動をしている人はいませんか?
その人は、犯罪や交通事故、病気、自殺で大切な人を失くし、その辛さを抱えきれずにそのような行動をしているのかもしれません。
ニュースでもいじめ問題が大きく取り上げられていますが、人は被害者になる事は避けられない事がありますが、加害者になることは避ける事ができると思います。
何気なく言った一言が相手を傷つけ、あるいはいじめに繋がったりすることを認識し、そして傷ついた人やいじめられている側も、生きていく事は、辛いこと悲しいこと苦しい事があるかもしれませんが、どんなに辛く苦しくても少し先には必ず良いことや嬉しいこと、楽しいことがあるのでそれを信じて、今がどんなに辛く苦しくても、与えられた命を生き抜いてください。
周りに相談する勇気を持ってください。
加害者も被害者も作らない世の中に。
その後、“市原さんが提訴し、1億円近い判決を受けた”と大きく報道されました。
この報道を見ると、多くの人が「1億円近い金額を得た」と思うでしょうが、市原さんは実は1円ももらっていません。
また報道に「圭司さんは暴走族の一員で態度が生意気だった」といわれのないことを書かれ、命を奪われた側の人権・人格を踏みにじられた思いがしました。
(このことは後に誤報だとわかりましたが、いまだに訂正されてはいないと感じています。)
そんなこともあり、現在市原さん家族はひっそりと生活されています。
“周りにはひっそりと生きている人がいる”―福祉を学ぶ学生にとって、このことは遠い話ではありません。
圭司さんは生きていれば11月で32歳。でも、どんなに想像力を働かせても、圭司さんの笑顔は18歳で止まったままなのです。
市原さんは圭司さんを大切に育てました。
学生のみなさんも同じようにご両親に大切に育てられました。
これから先誰かと出会い、結婚し、出産をする ―新しい命に繋がっていくみなさんの手は今とても温かいです。
でもこの手は、命を奪う手にもなります。
暴力、交通事故等の加害者になってしまうこともあるのです。
圭司さんはどれだけ悔しかっただろう、苦しかっただろう、悲しかっただろう…
どれだけ頑張っても圭司さんの思いをそのまま語ることはできません。
市原さんが語れるのは、遺族としての母親の思いだけ。
市原さんはこれからも少年犯罪被害者の活動を続けます。
二度と誰もが加害者にも被害者にもならない世の中になるように―。
学生にとってさまざまなことを得て感じた時間となりました。

市原さんの強い強いメッセージは学生たちの心に深く残りました。
講演終了後、福祉のまちづくり学科3年 落くん(岡山学芸館高校出身)は、
「初めて被害者遺族の話を聞き、本当に大変な思いをされたことを感じました。もし身近に同じような人がいたときに、何か力になってあげたいという気持ちを強く持ちました。
このような被害者が少なくなることを願います。」と話しました。
与えられた命を大切にすること。
それは周りの人のちょっとした気遣いや声がけから始まるのかもしれません。